子宮頸がん闘病記【発覚編】

私は2011年10月、36歳の時に初めて受けた子宮頸がん検診子宮頸がんが発覚しました。

一年ほど前から何となく体の異変は感じていたものの、何かと理由をつけて検査を受けてきませんでした。

今まで命に関わるような大きな病気やケガをしたことがなく、自分はいつも健康で元気なのだという根拠のない自信がありました。

ガンになってから、どうしてもっと早く病院に行かなかったのだろうと何度も後悔しました。

こうして命が助かっただけでも感謝すべきことなのでしょう。

しかしあと数年、いや、あと数ヶ月早く検査を受けていれば子宮を失うこともなくリンパ浮腫の心配も抱えず、また再発に怯えることもなく過ごしていたのに。

闘病時に書いていたアメブロの日記をこちらに引っ越しして、自分の備忘録も兼ねてまとめてみました。

子宮頸がん検診を無料で受けた

私は当時36歳でしたが、ちょうど住んでいる自治体で子宮頸がん検診が無料になる年齢でした。

がん検診の費用や無料クーポンの使い方等は、お住いの市区町村によって異なります。

日本医師会のホームページにわかりやすく検診の流れ等載っていたのでこちらでご確認ください。

子宮頸がん検診|知っておきたいがん検診
がん検診について紹介しているWEBサイトです。子宮頸がん検診に関する基本的な情報を解説します。

【私の場合】子宮頸がんの2つの初期症状?

2011.10

不正出血

子宮頸がんが発覚する一年程前から、生理でもないのに血が出るとか、性行為の時に出血するなどいわゆる不正出血が多くなってきていました。

不正出血と言っても、

また生理不順かな~

Hが激しすぎたかも・・

こんな風にあまり深く考えないと思うんです。

私が能天気なだけかもしれませんがそこまで気にすることもなく放置してました。

生理ではない時に、生理2日目に出るくらいのかなり多めの出血があった時にちょっとおかしいかもと思い始めました。

その後子宮頸がんが発覚してから、入院直前に大量出血した時にはさすがに怖くなってしばらくその場を動けませんでしたが。

腰痛

子宮頸がんが発覚する半年ほど前から、腰痛に悩まされるようになりました。

初めのうちは重たいものを持ったせいかな?とか姿勢が悪いのかもと思い湿布を貼ってみたり、腰痛や肩こりに効くビタミン剤を飲んでみたりもしました。

だけど、治まるどころか腰痛は日に日にひどくなるばかり。

がんが発覚する頃になると、座っていても立っていても寝ていても、とにかく何をしても腰の奥からズーンと重く痛くて痛くて、ネットで色々調べるもヘルニアにも坐骨神経痛にも当てはまらないし、(そりゃそーだ)これはいよいよおかしいぞと悪い予感はしていたのです。

ふたつの初期症状

不正出血

治らない(酷くなる)腰痛

※あくまでも私個人に起こった症状です。

子宮頸がん検診の結果

2011.10

要精密検査でした。

後日少し大きめの病院へ、最初の検診の時の細胞診より詳しく調べる組織診を受けました。

組織診は痛いという噂を聞いてびくびくしながら待つこと数十分。

思っていたほど痛くはなかったのですが、緊張してガチガチに力が入っていたせいかどっと疲れました。

一週間後に結果が出るとのこと。

これから通院することになるのか。

それとも薬を飲むだけで治るのか。

万が一手術になったとしても子宮だけは絶対残したい。

もう36歳だけど、まだ産むことは諦めていないし私だって一度は子供を産みたい。

産めなくなるのは嫌だな・・

それ以外は何だって我慢するから。

そう願いながら長い長い一週間を過ごしました。

病院からの電話

2011.11

『検査の結果が出たのでお母さんと一緒に来て下さい』

仕事のお昼休憩の時に病院から電話が来ました。

『え?いや、あの・・一人で行くつもりですけど・・親も連れて行った方がいいんですか?』

『お母さんと一緒の方がお話もしやすいですし、一緒に来てもらえるかな?』

心臓がドキンと大きく脈を打ち、携帯を持つ手がぶるぶる震えました。

(え?ちょっと待って・・

これってものすごい悪い結果が出たんじゃないの?

だって親を連れて来いなんて普通言わないもん・・)

私はもう36歳だ。

この歳で親同伴で病院に行くなんて余程のことでない限りありえない。

あぁ・・恐ろしい結果が出たに違いないよどうしよう。

母を心配させたくない。

だけどひとりでは心細い。

『もしもし・・病院から電話来た。来週月曜日一緒に来てって・・泣』

『月曜日?あらどうしよう。月曜日オカリナの発表会の全体練習なのよ』

・・。

・・はい?

いやいやいや。

なんでやねん!

オカリナとかどーでもええわ!

ワタシ今人生最大のピンチ!!

てかもうフラグびんびんに立ってますけど!!

リーチですよリーチ!!

お母さん動揺して泣かせてしまうかも・・なんて案じた私マヌケか!

フォロー入れておくと私の母、菩薩のように優しい人なんですが天然なんですね。

会話の途中で事の重大さに気づいたようで(遅い)、

『オカリナなんてどうでもいいから一緒に病院に行こう』

と泣きじゃくる私を励ましてくれました。

その日は金曜日で、母がすぐにでも結果を聞かせて欲しいと病院にかけあってくれたのですが、先生が月曜日にならないと対応できないとのことで、楽しいはずの週末を鬱々と過ごしました。

子宮頸がん告知

2011.11

途方もなく長い週末を過ごしてやっと月曜日を迎えました。

家族や彼氏、友人や職場の仲間たちみんなに、

『きっと大丈夫だから!』

と励まされ病院へ。

一番乗りで受付を済ませたのに、市民検診の駆け込みラッシュのせいか混みあっていて、なかなか名前が呼ばれずにイライラ。

待合室に流れているオルゴールメドレーももう何週目だろうか。

Butterfly・・嫌いではないけれど、今日は心情的にあまりにも対照的過ぎてもう嫌いになりそうよ・・。

ごめんカエラちゃん。

しばらく待たされ、ようやく診察室が並ぶ一番奥の部屋に呼ばれました。

先生の第一声、

『大変申し上げにくいのですが・・』

ドラマでよく聞くこのセリフ。

いざ自分が聞くと、これほど破壊力のある前置きを聞いたことがないというほどの強いダメージに、心臓がギュって縮こまるのがわかりました。

悪性の腫瘍が出来ていて、既に浸潤ガンになっている、と。

異形成の段階はとっくに越えていて、子宮全摘出の手術をするしかないでしょうとの話でした。

頭が真っ白になるというのはこういうことなのかと。

自分の身に起こっている話なのに、ドラマのワンシーンでも観ているような、どこか他人事のようにも感じて何も言えずにいると母が、

『娘はまだ未出産なんです。出来るなら子宮は温存してほしいんですが、それは無理なのでしょうか?』

とすがるように質問しました。

しかし時すでに遅しで、子宮を残すことは命に関わってくるとのこと。

ショックで言葉を発することができませんでした。

声を出したら泣いてしまいそうだし、泣いてしまったらそのまま涙が止まらない気がして、そのまま黙って話を聞くことで精一杯でした。

意外にも母は涙を見せることはなく、逆に毅然とした様子で先生にあれこれと質問している姿を、やっぱり一緒に来てもらって良かったと思いながら、ただ呆然と見ていることしかできませんでした。

泣くことも出来ず放心した気持ちでロビーで会計を待っていたら、少し離れた場所で家族連れがとても楽しそうにはしゃいでいる姿が目に入りました。

母と同世代くらいの女性、その娘らしき女性が二人。

女性の腕の中には小さな赤ちゃんが抱かれていました。

そういえばここの病院産科もあるんだっけ。

なるほど、出産をして今日は退院日なのね。

その家族からは幸せがあふれ出ていて、箸が転がってもおかしくて仕方ないといった様子でずっと楽し気な笑い声が聞こえていました。

ワタシなんてたった今がん宣告されたわー。

もう産めないんだってよ。

まるでこの世で自分が一番不幸かのように悲劇のヒロインにどっぷりと浸かって、ひがんだその気持ちがみじめでまた泣きそうになりながらその家族をもう一度見てみたら、中学時代の同級生であることに気づきました。

とっさに顔を隠す私。

さすがに今は笑顔であいさつはできないし、ましてや出産おめでとうなんて素直に祝福もできません。

出産のタイムリミットは迫ってはいたけれど諦めていたわけではありませんでした。

女として生まれ、いつかは私も母親になるのだと思っていました。

紹介状を書いてもらった大学病院で、もしかしたら温存手術ができるかもしれない。

その時は、悲しすぎる現実を受け入れることはできませんでした。

子宮頸がん告知を受け大学病院へ

2011.11

どうにか子宮を温存してほしい。

そんな願いも虚しく、子宮を全て摘出しなければもし少しでもガンが残っていた場合、

・転移の危険があること

・命の危険が迫っていること

・再発の危険があること

これらの全摘しなければならない理由を淡々と説明されました。

やっぱりダメか。。

泣きそうになってうつむいたその時、ずっと黙って聞いていたカレが、

『今妊娠したらだめなんですか?』

と突然口を開きました。

『子供は助かってもお母さんは死ぬよ

と即座に答えられ何も言えませんでした。

後日MRIやCTなど諸々の検査に通い、腫瘍は3cm程あることがわかりました。

ガンのステージは手術後の病理検査でわかるとのこと。

全摘後は放射線治療が必要で、病理検査の結果次第では抗がん剤治療も必要になるかもしれないということでした。

こうして、ある日突然私は予想だにしていなかった子宮頸がんと闘うことになったのです。