来年も再来年もこれから来ると信じて疑わなかった未来に私は生きているのか。
健康に過ごせることのありがたさ。
たくさんの人の助けや支えで生きていること。
普通の暮らしが出来る幸せ。
わかっていたつもりでいたけれど、病気になって改めてそれを強く思い知らされました。
子宮頸がんが発覚してから手術までの約1ヵ月の間に、以前にも増して腰の痛みが酷くなり、じわじわと病魔に蝕まれていくようで怖くてたまりませんでした。
この記事は2011年11月に子宮頸がんが発覚し、手術をすることになった私が当時アメブロで書いていたものを引っ越しして書き直したものです。
発覚編はこちらです
人生最後の生理
2011.11
子宮頸がんが発覚してからあれよあれよと言う間に手術日も決まり、あとは入院日まで数日に迫ったある日のこと。
人生最後となる生理が来ました。
あぁ・・憎きガンの野郎にむしばまれているというのに私の子宮さん・・。
けなげに生理になるなんて。
13歳で初潮を迎えてから、かれこれ23年。
10代の頃は何度も生理不順に悩まされ、その頃からずっと月経前症候群(PMS)で苦しんできました。
毎月やってくる“精神不安定期間の襲来”に怯えていました。
それも今回の生理でおしまい。
もう二度と生理用ナプキンを買ったり、生理中のわずらわしさやPMSに悩まされることもないのかと思うと、寂しいようなせいせいするような複雑な気持ちになりました。
プラス思考で考えるなら、これからはいつだって温泉にもプールにも行けるのだ!
だけど、
今日まで23年間休むことなく毎月せっせと働いてくれてありがとう私の子宮さま。
お疲れ様でした、生理さん。
今まで鬱陶しさしかなかったのに、初めて生理の血を見て愛おしさすら感じてしまいました。
そして少し涙してしまいました。
人生最後の生理は、いつもならきっちり一週間は居座るのに、何かを悟ったのかたったの二日間で去ってしまいました。
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広汎性子宮全摘出術
2011.12
いざ手術
広汎性子宮全摘出術を受けることが決まってから、手術当日までググりまくって情報を漁りました。
卵管、卵巣、腟および子宮周囲の組織を含めた広い範囲で、子宮を摘出します。この手術方法は、手術前の診断で、がんが子宮の頸部に及んでいる場合(II期およびIII期の一部)に行うことがあります。通常、広汎子宮全摘出術の場合は、骨盤内のリンパ節郭清を行います。同時に、腹部大動脈周囲のリンパ節郭清を行う場合もあります。
引用元:国立がん研究センター がん情報サービス ganjoho.jp
調べれば調べるほど不安は増える一方でした。
けれど、この先の人生がまだまだあるつもりでいたし、想定外のピンチに陥ったりすることなく心の準備をして手術に挑むことが出来たので、結果的には知っておいて良かったと思います。
①卵巣を切除するため女性ホルモンの分泌がなくなり、更年期症状に似た卵巣欠乏症が起きる。
②リンパ節の切除をするためリンパ浮腫が起きる。
③排尿に関する神経が傷ついた場合排尿障害が起きる。
私が準備した後遺症対策
卵巣欠乏症
対策⇒ホルモン療法や漢方で症状を和らげられるので、術後に症状が出た場合は投薬で改善できるとわかりました。

実際に、手術後4,5カ月が経つ頃に更年期症状と思われる症状が出たためプレマリン錠を処方されて現在も(術後9年)飲んでいます。
リンパ浮腫
対策⇒リンパドレナージや医療用弾性ストッキングの着用で浮腫みを軽減させる。

実際に、手術後に左脚のリンパ浮腫が出たため弾性ストッキングを着用するようになりました。
排尿障害
対策⇒手術が決まってから、尿意を感じる度にその感覚やおしっこを出すときの感覚、お腹周辺の力の入れ方をしっかり覚えておくようにしました。

こうやって出すんだよ!わかったか?私の体よ!と自分の体に言い聞かせながら(笑)
結果として、術後それが大変役に立ちました。
いざ手術!
昼頃に手術をスタートしますと言われていたのですが、午前の手術がおしているとのことで、夕方にようやく呼び出しが来ました。
朝から絶飲食に加え、下剤を飲んでお腹の中を空っぽにしている状態だったので、その頃には気分もグッタリ。
手術時間は4時間程だったそうです。
「猫田さん、わかりますか?終わりましたよ」
と肩をポンポンと叩かれて目が覚めましたがまたすぐに眠ってしまいました。
どのくらい後だったのか、待っていた母たちに
「頑張ったね」
と労われるのをまだ意識がはっきりしないままぼんやりと聞いていました。
寝返りを打ったり好きな体勢で寝ていいよと言われていたけれど、両脚に血栓予防のポンプが巻き付いて重かったり、傷口が痛かったり熱も高かったせいか苦しくて、ぐっすり眠れませんでした。
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手術翌日は早速、
「まずは立つことが目標です」
と言われたので、なんとか立たなければとクララ以上に気合は入っているのに、立つどころか上体を起こして喋っているだけで気分が悪くなって吐いてしまいました。
手術中に出血したことで、体が一時的に貧血になっているからだそうです。
立つことも出来ないなんてくやしくて、何度も立ち上がることを試みるも、ベッドから足を下ろすだけで一苦労!
汗だくになりながら、必死の形相でなんとか5歩だけ歩けました。
数歩歩いただけで褒められるなんて、赤ちゃんの頃以来です(汗)
術後初めての食事は、3分粥にゆずみそ、かぼちゃペースト、白身魚のムースでした。

離乳食?みたいな食事をして、立っちして歩いて褒められ赤ちゃんに戻ったような気持ちでしたが、手術をしたことでまさに新しい自分が生まれたようにも思いました。
術後3日目~8日目
手術で切った傷口が痛くて痛くて咳もくしゃみもうっかり出来ないし、お見舞いに来る家族やみんなにわざと笑わされた時は悶雑ものでした。
だけど痛くても歩いたり動いている方が回復が早いそうで、なるべく守りに入らないように動くように心がけました。
一度、夜ベッドにいる時なにかのはずみでお腹に刺さっているドレーンが抜けてしまって、白いシーツが血まみれになる松田優作ばりの「なんじゃこりゃあぁ!」な事件が発生した時は、病室みんなをパニックにさせてしまいました。
排尿訓練
2011.12
術後8日目でようやく尿のカテーテルを抜いてもらいました。
これから排尿訓練が始まります。
まず自力でおしっこを出して量を計測。
その後導尿をしてもらって膀胱に残っているおしっこを測り、その量が減って来て安定したら訓練は終わりです。
3時間おきに行います。
もちろん夜中も3時間おきに起きなければいけないと。
うーん眠くて辛いけど仕事があるわけじゃないから仕方ない。
初めての残尿測定は40mlでした。
50ml以下であればとりあえず心配はなさそうということですが、日によって50を超える時もあったり日々一喜一憂といった感じでした。
出るけど勢いがない。
全部出し切りたくて、腹式呼吸をしながら下腹を押したり脳に「まだ出せるでしょ!」と言い聞かせながら、トイレへ行くだけでへとへとでした。
何も考えず当たり前にしてきたことがこんなにも難しいなんて。

手術前におしっこを出す感覚を意識しておくことは絶対おすすめします。
その後日を追うごとに少しずつ元の感覚を取り戻すことができるようになりました。
病理結果
2011.12
手術をした時点ではステージⅠb期と思われていたが、病理結果でⅡb期であることがわかりました。
子宮の外側と膣の一部にガンが少し飛んだものが見えるので、それを徹底的に叩くことと再発を防ぐため、放射線治療に加え抗がん剤も投与することになりました。
さらに膣の中に直接入れる腔内照射のするとのこと。
思っていたよりステージが高かったことと、抗がん剤に加え聞いたことのない腔内照射もあると聞かされさすがに落ち込みました。
治療にあたってのリスクや抗がん剤の副作用のことなど諸々の説明を聞いて同意書にサインをしました。
そして、一番知りたいけど怖くてなかなか聞けなかった、
「リンパへの転移はなかったんですか?」
と言った彼氏の質問に、
「大丈夫ですよ」
と笑顔で答えてくれたダンディKドクター。
ほっとして全身の力が抜けました。
母も妹も良かった良かったと涙を流して喜んでくれました。