女性が大人になったら誰でも当たり前に出産するとは限りません。病気や事故、不妊症や先天的な理由などで産みたくても産めない女性はたくさんいます。
私は子宮頸がんになり、手術で子宮や卵巣などを切除したため出産は出来なくなりました。
その時から数年の間、産めない自分を責め続けました。
産めないことは決して悪ではありません。
ではなぜ悪ではないのに落ち込んでしまうのでしょうか?
産めないことは「悪」なのか

自分を責める日々
手術や放射線の後遺症で性交痛がひどくて性生活においても健康な頃のようにはいかず、そのこともコンプレックスとなっていたので、女としての価値なんて無いし子供も産めないなんて終わった人間だと自分自身を卑下するようになっていました。
子供を連れて歩いている女性や家族連れを見てはため息をつき、テレビやCMで赤ちゃんが出るのを見ることも嫌になっていました。
・・女としての価値なんて全くない私なんかに何があるんだろう。
周囲の支えもあって辛い抗がん剤や放射線治療を頑張って元気になったのに、心の中では自分のことが大嫌いになっていったのです。
産みたかったから
私は元々出産願望は強い方ではなかったのに、産めない体になってから産めなくなったことに劣等感を感じるようになりました。
けれど純粋に好きな人との間に子供が欲しいと願っている方のほうが多いかもしれません。
私はガン発覚時は独身だったのでどのみち産む予定はなかったものの、結婚されている方やこれから子作りを考えていた方にとってとても辛いことであると察するに余りあります
周囲のプレッシャー
既に結婚していて出産する気配がないと周囲から無遠慮な『赤ちゃんまだなの?』ムードを漂わせてくることはよくある話ですよね。私も一度結婚した時に(その頃はあえて子作りはしていませんでした)職場で日々言われていました。
まだいらないからと言っても、それじゃダメだとか、出産は早い方がいいとか余計なおせっかいを受けました。
そういった、結婚→せっせと子作り→出産 という流れが当たり前のような風潮があるがゆえに、産めない=悪 と思い込んでしまうのかもしれません
子供がいないことを不思議がられる
30代後半から40代半ばの現在に至るまで、人との会話の中でよく聞かれるのが『子供はいるの?』や『子供は何歳?』という質問。いないと答えるとそれについても驚きなぜいないのか聞いてくる。
こんなぶしつけな質問をしてくるのはほとんどと言っていいほどオジサンなんですけどね。
平気で子供の有無やいないことを不思議がるという、地味に傷つくシチュエーションが度々あります。
もちろん相手に悪意があるわけではないのだけど、こういうデリケートな話をデリケートに扱わない人が多いのも産めない女性を苦しめる原因のひとつではないでしょうか。
産めなくて何が悪い

術後数年の間ずっとモヤモヤしたまま自分を責めていたけれど、仮にガンにならずに子どもを産める体だったとしてもどこかで誰かと結婚して出産していただろうか?産むことを切に願ったのか?と考えました。
もし産んでいたら私は今より価値がある女だったのか?と。
そして何よりずっと自分を責め続けたのは自分であり、誰かに責められてなんかいなかった。
産めないことで価値を決めつけるなんて愚かな考えを持って、勝手に自分で自分を傷つけていたことにやっと気づいたんです。

立ち直るための4つの考え

“産めない”自分を認める
シンプルだけどそれが出来なくて悶々としてしまうんですよね。
でも産めないんだから仕方ない!
だったらそれを受け入れてしまった方がいい。いや、受け入れないと進めないんです。
なーんにも悪いことはしてないんだから、もう責めるのはやめて自分を認めてあげなきゃなんです。
“産めない”せいにしない
当たり前のことだけど、産むことが全てではないです。
決して“産めない私は不幸”なんかじゃないし、狭い視野でいると小さな幸せを見落としてしまうかもしれない。
どうせ私なんて・・と思っていると表情も歪んできてしまうし、自信を失くすとメンタルにも身体にもよくないのは言うまでもないことです。
産めるか?産めないか?の二択で人生は決まらないですもん。
自分自身をかわいがること
自分を幸せに出来るのは自分しかいません。誰かが自分を幸せにしてくれるのではなく自分自身が自分を幸せにするしかないんです。
どんなにパートナーや周囲の人のやさしさがあったとしても、結局は自分を幸せにできるのは自分の心の持ち方次第だと思うんです。
私は病気で産めない体になりましたが、それと引き換えに今を元気に生かせてもらっています。
自分でも頑張って乗り越えたけどそれ以上に周囲の支えがあってこそでした。
そうして今こうして生きている自分を雑に扱っていたらバチが当たってしまうなって思ったんです。
“産まない”選択をしている人もいる
私の同世代の友人たちの中にも既婚で子なし夫婦や独身者がたくさんいます。子なし夫婦の中には不妊だった人もいるけれど大半はあえて作らなかった人たちです。
子どもが好きではないから欲しくないという友人もいれば、子どもは好きだけど自分では産みたいと全く思わない友人。
産みたいのに産めない人とは違うかもしれないけど、産まないからと言って彼女たちは自分を卑下することなんてありません。むしろ生き生きと過ごしています。
このような友人たちに出会ったのは偶然か運命か、私は女として終わった・・と自分を責めて落ち込んでいた頃でした。
産まないことは少しも後ろめたく感じることではないということを、彼女たちとの出会いで少しずつ思えるようになりました。

“おこなしさま”とは?

大変興味深い記事がありました。
国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」(平成24年推計・中位仮定値)による「子どもがいない無子割合」を年代別に推計したもので、そのデータから子どもがいない“おこなしさま”の生き方について大人ライフプロデューサーくどうみやこさんが書かれたものです。

“おこなしさま”という生き方。そう、こういうこと言ってくれる人待ってました!
結婚して子どもを作るのが当たり前ではなく子どもがいない人生もある。
だから産めなくてもそこで立ち止まったままではなく、子どもを産まなくても幸せな人生を模索して作ってしまえばいいんです。
子どもがいたら得られる人生があるけれど、子どもがいないから得られる人生もあるわけで、自由度に関しては最も大きな部分でしょう。
まとめ
もう立ち直った事でも、たまに思い出すと少し胸が苦しくなることってありますよね。
かと言ってまた落ち込んでしまうわけでもないようなことと同じで、完全に0%になるまで気持ちを成仏させなくてもいいと思うんです。
予想通りにいかないのが人生と言うけれど、予想外の人生でも幸せな生き方を探して日々をエンジョイしていきましょう♪
